名古屋でのサバイバル生活

この町での生活はまさに”サバイバル”という表現がぴったり当てはまる。現代日本の縮図のような、こんな土地での生活の記録。ネットで知ったことや気がついたこと、思いついたことの備忘録、毎日の出来事、それに思ったことなどをつづっていきます。

責任者出てこい!(By 人生幸朗さん)と言いたい

直感的に思ったこと。忘れんうちに記録、記録。

 

(その1)憲法96条だったかな?これに基づいて、

「国民は憲法に”従わなくてもいい” 憲法は国家公務員が従う法律だ」とおっしゃっている弁護士さんがいる。

 司法試験予備校生の塾経営をしていらして(今は経営者違うのか?それでも会長みたいな立場でしょう。)今の弁護士、国会議員(弁護士出身)は結構その塾出身者

 ちょっと独善的すぎないかなぁ。これじゃあ、統帥令をふりかざした戦前の陸海軍(特に陸軍参謀本部のお受験エリート関東軍のお受験エリート)と同じじゃね〜かい?

 まあ、「言いたいほ〜だい、やりたいほ〜だいのすべての国民と一緒に生活するよ、その覚悟があるよ」という民主主義のキモを日々の生活で実践しているというのならば、これが歯止めになって暴走しないんだろうけど。本当に覚悟している?

  しかし、この人の著作物(本当?)は法学の教科書として気に入っています。民法の骨格部分や法学の三段論法がよく分かった

 

(その2)「原発絶対反対」「空港建設絶対反対」「戦争絶対反対」「安保絶対反対」「政府のやることなんでも絶対ハンタ〜イ」

「平和、平和、絶対平和!」

とコトアゲして自分の主張を振りかざしてもいいよ。

でも、自分たちの意見が「絶対唯一」で他の意見を聴かないというのは、民主主義と違うんじゃね〜の?宗教だよ。そう考えると合点(ガテン)がいく。単純明快。楽でいいね〜え。

  言いたいこと言えよ、やりたいことやれよ。でもお互いの人権(言いたいほ〜だい、やりたいほ〜だいのすべての国民が生きている間にやることすべては尊重してね!一緒に生活するよ、その覚悟があるよ)というのが民主主義のキモでしょ?

ー>基本的人権の尊重(人権と尊重ということばがキモ)

 

(その3)マッカーサが「日本人は12歳のガキだ」と言ったのは「覚悟ができとらん」と思ったこともあるんじゃないかな。これって、いまだにそうなんじゃない?

 まあ他に、ガキだから今のうちに「ママのいいつけを守るんですよ!」と飼いならせば、アメリカの国益を実現するためのいいカモになると思ったこともあるんだろうけど(マクドの戦略と同じだぁ!過去=歴史から学んでいるんだろうな)

 
(その4)「差別的表現だから使わない」ちゅうのがよーわからん!?
 
差別、人権侵害は日本に限った話じゃないんだけど、
表題をまずこのBlogにINPUTしておいて、ちょっと考えた。
 
 そりゃ差別を受ける人に対して直接その”差別的表現”をつかえば、
人権侵害<憲法違反(基本的人権の尊重違反)
になるから罰(1対1での状況)。
この1対1での状況なら分かるけど、民主主義を原則とするなら、別に差別を受ける人のいないところ、知らんところで、その人についてどんなことを言おうがええ〜がね。わしらの勝手だがね。当人は知らないんだから。
(これで他の人がぐじゃぐじゃ言い出すとこれは別の問題)
それがもとで1対1のときに当人に”差別的表現”をつかえば人権侵害。1対1のときに当人にいやがらせなどのいじめをすれば人権侵害。1対1のときに当人にその他なんかすれば人権侵害。
 
 じゃあ1対多ではどうだろう。
 
 1) ”多”に当人が含まれない場合(本人が知らなかったなど)
「誰それは”差別的表現”です」と流す。
それを聴いた大多数が「誰それは”差別的表現”です」ということを知る。
大多数が誰それを多対1(ひょっとすると膨大な1対1)で”差別的表現”をつかう。大多数は全員人権侵害。
 この流れをみると、大多数が「12歳のガキ」でわかっちょらん(人権侵害)のであって、差別的表現を流した最初の”1”(1対多のときの1)は民主主義を原則とするなら「なに言ってもい〜じゃん」となる。
 
でも。。。(ここでちょっと考えた)
 
 2) ”多”に当人が含まれる場合
膨大な”多”のうちのただひとつ ( The one ) が1対1にあたり人権侵害。
 そして上記の1)はいつかは当人の知るところとなって ”多”に当人が含まれる場合となり人権侵害(日本の工業的表現で言えばNG)
 さらに「12歳のガキ」でわかっちょらん大多数が当人に”差別的表現”をつかう。大多数は全員人権侵害。
 
 なんか「差別的表現だから使わない」ちゅうのが腑に落ちた。
 1対多での”1”の側は人権侵害になることはできないし、してはいけない。そして”多”の方は逆に、”1”の側にやらせない(やったら文句を言う。特に、当人は文句を言うべし!)となる。
  当人にとってみればたまったもんじゃないわな。精神的に参ってまう。
 
 (その5)差別的表現をこどものいじめに当てはめられるなあ。
 
ガキどもは単純だから解りやすい。(その4)記述した、
 
「この1対1での状況なら分かるけど、民主主義を原則とするなら、別に差別を受ける人のいないところ、知らんところで、その人についてどんなことを言おうがええ〜がね。わしらの勝手だがね。当人は知らないんだから。
(これで他の人がぐじゃぐじゃ言い出すとこれは別の問題)
それがもとで1対1のときに当人に”差別的表現”をつかえば人権侵害。1対1のときに当人にいやがらせなどのいじめをすれば人権侵害。1対1のときに当人にその他なんかすれば人権侵害」
 
で、どんなことでも言うのがガキども。で、それがもとで1対1のときに当人にどんなことでも言うのがガキども。
 
そりゃ、当人はたまらんで。
 
校長先生のお話とか、追悼とか、第3者委員会調査とか、いじめが何件とか、アホか。
人権について教育してくださりませ。
 
 (そのうちこの記事は分割します。今日はこれまで!)